ケルト人とは何なのか簡単に説明してみます

『おっさんフォース』管理人のみつーです。

 

ハロウィンの事を調べていくうちに
ケルト人という言葉に出会いました。

 

いったいケルト人とはどんな人たちの事を
言うのだろうか。

 

その謎を調べていくうちに
どんどん難解な言葉に出会ってしまい、

 

結局イメージが湧いてこない事態に・・・。
(@_@;)

 

そこで、私が持ち合わせているボキャブラリーと
イメージ力を総動員して、この

 

ケルト人とはいったい何なのか
簡単にイメージできるように、

 

頑張ってみました。

 

この記事は以下のサイトを参考に
書いてみました。

 

参考サイト:
https://www47.atwiki.jp/wikirace/pages/66.html
https://seikatsu-hyakka.com/archives/10298

 

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ケルト人を簡単にイメージすると

 

ケルト人を簡単に言うと、

 

古代ヨーロッパ、現在のドイツから西の方と
イギリスまで辺りに存在したケルト語
(ゲール語)を話す民族でした。

 

ゲルマン人とかローマ人とか、
アングロサクソンとか、

 

そういった民族のひとつと言われています。

 

 

ゲルマン人やローマ人の発展に伴い、
衰退してしまいました。

 

主にアイルランド、スコットランド、
ウェールズ、フランスのブルターニュ地方
などに住んでいます。

 

アメリカ合衆国にも大量に移民しています。

 

ケルト人をイメージで説明

日本の本州をユーラシア大陸と考えると
丁度、広島から山口県、そして対馬に
住んでいた民族と例えるとイメージ出来ますでしょうか。

 

ケルト人を仮に広島の
『そっち系の組織』と置き換えます。

 

紀元前、現在の広島県から山口県、そして対馬列島辺りまで
『ケルト組』と呼ばれる組織が存在しました。

次項につづく・・・。

ケルト人の歴史 ~仁義なき戦い~

 

『ケルト組』

紀元前1500~400年にかけて、
中央アジアの草原からヨーロッパに渡来した民族。

 

日本で言うと、兵庫県あたりの草原地から
発生し、西へ西へ移転していきました。

 

しばらくすると、広島県辺りを拠点に、

 

西は山口県、はたまた対馬あたりまでに
勢力をのばしていきました。

 

しかし、彼らは組長を持たずに支部長クラスの
民族での集合体しかもたず、

 

国としての統治はしていませんでした。

 

しかし、支部長クラスのまとまりと言っても、
彼らが持っている武器は、

 

当時、最先端の鉄製の武器でした。

 

その鉄製の武器と、馬車を戦闘用にした
戦車によって勢力をのばし、

 

ヨーロッパ中に散らばっていきました。

 

そして大きく2つのルーツに別れました。

一つは
本州中国地方(ヨーロッパ)に残った

『大陸のケルト』

 

そしてもう一つは
対馬(イギリス:ブリテン諸島)に渡った

『島のケルト』

 

この二つに分かれました。

 

 

情勢が変わるのは紀元前1世紀ごろです。

 

その頃になると『ケルト組』は勢力が衰え、
他の組み(民族)の支配下になっていきました。

 

ドイツ北部にいた『ゲルマン組』の連中から
強烈な圧迫を受けた大陸のケルト組は岡山をすて

 

島根あたりに移住することになりました。

 

しかし、それも『ローマ組』のカエサルらによって征服され、
『ローマ帝国組』の支配下におかれ、

 

中世あたりにはゲルマン系フランス人に吸収され
大陸のケルト組はフランス人に変わっていきました。

 

部族単位では強い戦士だったケルト組も、
ローマ組の組織的な動きには勝てませんでした。

 

一方、対馬(イギリス:ブリテン諸島)の
『島のケルト組』は、

 

はじめはローマ帝国の支配下
から免れていたものの、

 

結局、西暦1世紀ごろにはローマ帝国組の
支配を受けてしまいます。

 

この地方のケルト組の人たちは、
どんどんローマ組と交わり、
ローマ人っぽくなっていきました。

 

ところが5世紀ごろ、

 

ドイツ北方にいたゲルマン組が、
突如ローマ帝国組に侵攻します。
(これにより大陸側のケルト組は衰退します)

 

組長を守ることを余儀なくされた
島のローマ組は、つぎつぎとローマ帝国に
戻っていきます。

 

ローマ組の影響がなくなった間隙をぬって
アングロ・サクソン組が海を渡って対馬を占領します。

 

アングロ・サクソン組の支配を受けて、
ローマ組の文化はなくなってしまいました。

 

やがてケルト組はアングロ・サクソン組と交わり、
ほとんど薄れてしまったものの

 

対馬の西 ウェールズ地方には
アングロ・サクソン組の影響は及ばす、

 

現在もウェールズ地方やスコットランド、アイルランドに
残っていまが、純粋なケルト人としての国家はありません。

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ケルト人の特徴

特徴といっても個々人に当てはまるものではなく
通説的で一般的に言われているものです。

 

日本人で言うところの「勤勉」「おとなしい」と言った
そんな程度のものだと思ってください。

 

ケルト人の外見

肩幅が広く筋肉質。
体毛が濃い
基本的に肌が白い

 

ケルト人の顔立ち

ケルト人の有名人で検索すると
C.W.ニコルさんの顔が出てきました。

目は青か緑が主流
髪の毛は天然パーマ
鼻が長く高い。横幅はひろい

 

ケルト人の性格

明るく陽気

プライドが高い

民族的習慣を大事にしている

気が強い

男尊女卑だが、女性を守る意識が高い

女性も気が強い

いいかげんな人が多いが、宗教には厳格で保守的

 

ケルト人の主な名字

こちらのまとめさいとに
詳しく乗っていました。

参照サイト:https://matome.naver.jp/odai/2142150457528145901?page=2

ここでは主に目立った名前をピックアップしました。

・Murphy マーフィー

・Kelly ケリー

・O’Sullivan オサリバン
ケルト語で『鷹の目』を意味する。

・Walsh ウォルシュ
「ウェールズから来た」の意味でノルマン人移民をさす

・Ryan ライアン
little kingの意味

・Kennedy ケネディ
古いアイルランド語でugly headという意味。

 

ケルトの音楽

 

代表的なケルトの音楽です。

どこかで聞いたことあるような、
懐かしいメロディラインです。

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まとめ

日本の歴史も面白いですが、
ヨーロッパの歴史も面白いですね。

 

日本は島国の文化ですが、
大陸の文化は部族間の勢力争いで

 

毎日がドキドキの連続だったことでしょう。

 

環境が違うと価値観や概念が、
違ってきますから、

 

彼らの安全保障に関する考え方は
本当に現実的です。

 

歴史って、何かとっかかりがあれば
どんどん調べたくなりますね。

 

とっても面白いです。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました!

 

こちらの記事もどうぞ⇒ケルト人が愛したハロウィン。その由来と意味を解説します

 

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1 個のコメント

  • 文章をコピーできないのは不便すぎる
    気になったところを検索できないもんだから見るなって言ってるようなもん

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