イランとアメリカの対立の経緯を簡単に説明します。

イランとアメリカはどうして対立しているのでしょう。

とても根が深い問題のように感じますが、
歴史を紐解いていくと、割とシンプルです。

余計な情報を取り除きつつ、必要な情報はそのままに
出来るだけ簡単に説明します。

イランとアメリカの対立の経緯

元々、米国とイランは対立していたわけではありません。1979年までは良好な関係でした。
対立が始まったのはイスラム革命(1979年)以降です。

 

イランは人口約8千万。中東諸国のなかでは人口の多い国で、人種的にはペルシャ人が多い(6割。アラブ人は2%)。宗教はイスラム教シーア派を国教としています。イスラム教で信者が多いのはスンニ派で、シーア派信者は少数ですが、イランはシーア派の盟主の立場で中東に点在するシーア派の人たちを支援しています。

 

なかにはイスラエルと敵対するグループもいて、そこを支援するイランをイスラエルはよく思っていません。イランの産油量は経済制裁などにより変動しますが、中東では2~3位、石油埋蔵量は中東で2位です。

パフラヴィー朝の時代(1925~1979年)

イランは1906~11年の立憲革命で憲法を作り、そのなかで選挙制度、首相選出などが決められました。一方、シャーと称する皇帝も存在したので、立憲君主制の国であったのです。

1925年に軍人であったレザー・ハーンがレザー・シャーとして皇帝に即位しパフラヴィー朝を開きました。
彼は1939年に起こった第2次世界大戦でドイツ側に味方したため、1941年8月、英国、ソ連から侵攻され、米国に仲介を求めています。しかし、拒否され同年9月にレザー・シャーは退位し、息子がモハンマド・レザー・シャーとして皇帝になりました。以後、1979年にイスラム革命が起こるまでモハンマドが皇帝(シャー)の時代がつづきます。

第2次大戦終了後、中東諸国では欧米メジャーが独占していた石油を国有化する動きが出ました。イランでも国民の支持を得ていたモハンマド・モサッデク首相らによる石油の国有化の動きがありました。しかし、1953年に親欧米路線の皇帝は欧米と通じてその動きを阻止し、モサデック首相は失脚して(アジャックス作戦)、皇帝は権力を回復しました。

皇帝は欧米並みの近代国家をめざし、それによって経済成長を図る政策を展開しました。例えば、女性のヒジャブ着用を禁止したり、女性に参政権を与えたりしました。白色革命と言われています。これに対して、イスラム教の教えが第一と考えるイスラム法学者ホメイニらが反発しましたが、秘密警察が厳しく取り締まりました。結局、ホメイニらはフランスに亡命しました。

皇帝は特に米国とは深い関係を続け、米国は他の同盟国には販売したことのない戦闘機をイランには販売するなど、事実上、米国はイランを最恵国として扱いました。ただ、別の見方からすると、皇帝の政治は米国の傀儡政権的なところもあったといえるでしょう。

イスラム革命以降(1979年~)

【イスラム革命】
オイルショックにより1970年代後半、イランの経済も破綻し、社会の混乱が始まりました。ホメイニらの画策もあって混乱は収まらず、1979年1月、ついに皇帝はエジプトに亡命し、イスラム法学者ホメイニを最高指導者とする政権が生まれました。イスラム革命と呼ばれています。イスラム教が政治の基本となる政治が始まりました。

米国大使館占拠事件と新政権の人権問題

その後、元皇帝モハンマドはがん治療の名目で米国に移りましたが、入国を認めた米国に対し、イランの学生らが反発し、1979年11月にイランの米国大使館を占拠し、67名の大使館員を人質に、元皇帝の身柄引き渡しを求めました(米国大使館占拠事件)。結局、1981年1月、カーター大統領の努力などにより、人質は解放されましたが、この事件でイラン、米国の関係は決定的に悪化しました。

さらにイスラム教が政治の基本になったため、性的少数者、異教徒への迫害が始まり、女性も差別されるなどの人権問題が生じました。欧米諸国は人権問題を非難し、米国はイランに対し経済制裁を始めました。

核疑惑と核合意

そこに2002年ころから、イランで新たに核兵器開発の疑惑が起こり、米国は経済制裁を強め、国連も2006年~2010年にかけて制裁措置に踏み切りました。

ところで、2001年9月11日のイスラム信者のアルカイダによる米国同時多発テロは有名ですが、そのアルカイダの一派で、中東で暴れだしたのがイスラム国(IS)です。2014年イスラム国設立が宣言されました。イランはイスラム教のシーア派ですが、イスラム国はイスラム教の最大勢力であるスン二派です。

そこで、西側諸国などは、イスラム国対策として、イランを西側に取り込む方が良いのではと考え始めたのです。そして、2015年、米英独仏中露6か国は、イランの核開発は認めるが、スピードを落とすように条件を付け、それを守れば、経済制裁を解く、といういわゆる核合意が成立しました。

ところが、トランプ大統領が登場すると「この核合意は、単に核開発の延期で、開発は認めている、弾道ミサイルも制止していない、欠陥合意だ」と主張し、2018年8月米国だけが核合意から離脱し、再び経済制裁を始めました。

米国の経済制裁再開とサウジ石油施設への攻撃

アメリカからの経済制裁を受けて、イランの石油生産は大幅に落ち込みました。その落ち込み分をカバーしているのが世界最大の産油国サウジアラビアなどですが、サウジの石油が輸出される際に必ず通過するホルムズ海峡をイランは封鎖すると警告し、イランを取り巻く状況は一挙に緊迫したものになりました。万一の事態に備えて2019年5月初め米国は海軍を配備しました。

そして現実に2019年5月以降、ホルムズ海峡でサウジアラビア、日本などのタンカーが攻撃を受けました。犯行声明はどこからも出ていません。さらに2019年9月には、サウジアラビアの石油施設が無人機によって攻撃を受け、大きな被害が出ました。

一体誰が無人機攻撃をしかけたのか。この石油施設攻撃の後、サウジの南側の隣国イエメンの親イラン武装勢力フーシが犯行声明を出しました。しかし、攻撃内容を調べた結果、米国はイランが攻撃を仕掛けたと主張しました。

その後、米国とは一線を画してイランと良い関係を維持する努力をしてきた西側諸国(英国、フランス、ドイツ)も、今回はイランに責任がある、と米国と同じ主張をしました。

一方、イラン側は、大統領、外務大臣などがイランは関与していないと主張しています。 ただ、イランは普通の国と異なり、最高の権力者は最高指導者(現在はハメネイ)です。選挙で選ばれた大統領もその部下のような位置付けです。実は、今回のサウジの石油施設攻撃は、最高指導者直属の軍部が関わっていて、大統領は蚊帳の外に置かれ、何も知らされていない、という専門家もいます。その情報が正しいかはわかりませんが、ありうることです。

通貨を巡る争い

イランと米国の対立で、もう一つ注目を集めているのが通貨を巡る争いです。
現在、石油ほか様々な品物の国際取引はドルで行われています。ドルを管理している米国はその管理を通して各国の動きを知ることができますし、ドル利用禁止の措置をして「望ましくない取引」を止めることもできます。そういうなかでドルだけが基軸通貨であることを好ましく思っていない国々があります。

イランは米国が核合意から離脱したあと、一部の国に原油の決済をドルではなく、ユーロで行うよう求めました。それに対して米国は経済制裁で、イランのドル利用を禁止する措置を取りました。石油取引の大部分はドルで決済されているため、ドル利用禁止でイランの原油輸出は大幅に減りました。ただ、別の観点ではドル利用禁止は、それだけドル以外での取引が増えることになり、それが進むとドルの基軸体制は揺らぐ可能性があります。経済制裁で「ドル利用禁止」のような措置を取ることはだんだん難しくなるでしょう。

 

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