「ミヤネ屋が終わるらしい」──そんなニュースを見て、正直かなり驚いた。視聴率は依然として同時間帯トップクラス。宮根誠司本人も元気そうだ。それなのに、なぜ今なのか。
しかも報道では「本人の意思で終了」とされているが、公式コメントは曖昧なまま。この“空白”が、逆に気になって調べ始めるきっかけになった。
この記事では、ゴシップ的な真偽ではなく、宮根誠司という人物がこれまで何を語り、どういう価値観で仕事をしてきたのかという視点から、「本当に自分から辞めたのか」「この先どうなりそうか」を考えてみたい。
まず事実関係を整理する
報じられている内容を整理すると、以下の点に集約される。
- 「情報ライブ ミヤネ屋」は今秋をめどに終了予定と報道
- 視聴率は依然として好調
- テレビ局側は詳細コメントを控えている
- 一部週刊誌では「宮根誠司本人の申し出」とされている
重要なのは、“終了”と“降板”と“引退”がごちゃ混ぜになって語られがちな点だ。少なくとも現時点で、「芸能界引退」や「表舞台から完全に消える」といった話は出ていない。
宮根誠司は、そもそも「辞め時」をどう考えてきた人か
過去のインタビューや報道、関係者証言を総合すると、宮根誠司はここ数年、かなり明確に「辞め時」を意識していた人物だと分かる。
象徴的なのは、還暦前後から強まっていたとされる次の心境だ。
- このまま安定にしがみつくのではなく、最後にもう一度勝負したい
- 数字や評価が落ちてから辞めるのではなく、自分で終わりを決めたい
- 同じ場所に居続けることで感覚が鈍ることへの恐れ
実際、2026年1月の終了報道では、『ミヤネ屋』終了は局側の打ち切りではなく、宮根本人が「番組を終えたい」と申し出たことが発端だと伝えられている。これは単なる憶測ではなく、複数の関係者談が一致している点が重要だ。
また、2025年7月に番組が20周年を迎えたことが、決断を固める大きな節目になったとも報じられている。20年という区切りは、「まだやれるが、ここが潮時でもある」という判断を後押ししたと考えるのが自然だろう。
過去にも番組終了を考えたことはあったのか
結論から言えば、今回が初めてではない可能性が高い。
2024年頃の週刊誌報道では、コロナ禍以降の体力的・精神的負担から、宮根誠司が「そろそろ卒業してもいいのではないか」と周囲に相談していたという証言が紹介されている。
同時期には、
- 月に数回、明確な理由なく番組を休むことが増えていた
- 「疲れた」「少し飽きた」といった本音を漏らしていた
といった具体的な描写もあり、少なくとも関係者レベルでは「降板を考えているのでは」という空気があったようだ。
ただし当時は、
- 有事の際に頼られる番組であること
- 自分が前に立つ意味がまだ残っているという自覚
から、続投を選んできたと見られる。
今回との決定的な違いは、
- 20周年という明確な節目
- 年齢的な区切り
- 視聴率が落ちていないという条件
が揃い、「自分の意思で終わらせられるタイミング」が訪れた点にある。
政界進出や完全引退の可能性は?
こうした話題になると必ず浮上するのが「政界に出るのでは?」という憶測だが、現実的には可能性は低いと考えている。
理由の一つは、宮根誠司の資質が「政治家向き」ではない点だ。宮根はこれまで、数多くの批判や炎上を経験してきたが、それでも第一線に立ち続けてきた。炎上やバッシングに耐える強さという点では、むしろ政治家以上の耐性を持っていると言える。
しかし一方で、政治家に不可欠な能力である
- 特定の支持者を束ねること
- 明確な思想や立場を掲げ続けること
- 「この人についていきたい」と思わせる旗印を示すこと
こうした要素は、宮根の仕事のスタイルとは相性が悪い。
宮根誠司の本質は、
- 権力を持つ側ではなく、横から突っ込む側
- 立場を固定せず、その場で考え、揺れながら問いを投げる役割
にある。炎上には耐えられても、人を束ね、同じ方向を向かせ続ける役割は志向してこなかったし、本人の美学とも合わない。
また完全引退についても、視聴率や影響力が残っている今、あえて全てを手放す合理性は感じにくい。帯番組という重い役割からは降りても、「必要とされる場」から完全に消えるとは考えにくい。
池上彰のような立ち位置になるのか?
では今後、池上彰のように「必要な時だけ出る解説者」になるのか。
方向性としては近いが、同じにはならないだろう。
池上彰が「構造や背景を静かに説明する人」だとすれば、宮根誠司は「今起きていることを、その場で捌く人」。台本通り説明するよりも、予定が崩れた瞬間に力を発揮するタイプだ。
おそらく今後は、
- 毎日の帯番組からは離れる
- 特番や選挙、災害など“場が荒れる時”に呼ばれる
という形に近づいていくのではないか。
ネットの反応
スポーツ選手とかアイドルもそうだけど、トップのうちに辞めるの賢いよな。辞めるときにみんなに盛り上げてもらえるし、人気があるから次の仕事にスムーズに進める。
>《独占》『ミヤネ屋』終了へ!宮根誠司(62)が決断「必死の引き止めも覆らず」視聴率はいまだトップのままの勇退劇 pic.twitter.com/bTQvDyxiAz
— お侍さん (@ZanEngineer) January 28, 2026
【液晶を叩く豪快さが大人気】
情報ライブ『ミヤネ屋』終了へ!
視聴率はいまだトップのままの勇退劇宮根誠司(62)が決断
『新しいことに挑戦したい』すべてを投げ打つ覚悟で番組からの卒業を決めたそうです。
液晶を手のひらで投げ打つ姿が見られなくなるのは残念。
必死の引き止めが足りんわ! pic.twitter.com/Nntu4rdqOr
— いくら (@x1261930320530) January 27, 2026
結論:テレビから離れるのではなく、距離を変える
今回のミヤネ屋終了は、「引退」や「失速」ではなく、テレビとの付き合い方を変える選択に見える。
宮根誠司は、
- テレビから完全に消えるわけではない
- しかし、これまでと同じ場所には戻らない
そんな立ち位置を選ぼうとしているのかもしれない。
毎日そこにいる“昼の顔”は終わるが、何か大きなことが起きた時に現れる存在としては、まだしばらくテレビの中心に居続ける。少なくとも、今回の報道を追う限り、そう考えるのが一番自然だと思う。
まとめ
今回の『ミヤネ屋』終了報道をめぐっては、「なぜ今なのか」「本当に本人の意思なのか」といった疑問が多く投げかけられている。しかし、これまでの発言や関係者証言、報道を重ねて見ていくと、今回の決断は突発的なものではなく、数年かけて静かに準備されてきた選択だったと考えるのが自然だ。
- 還暦前後から強まっていた「安定にしがみつかない」という意識
- コロナ禍以降に表面化した体力・精神面の負担
- 20周年という明確な節目
- 視聴率が落ちていない今だからこそ、自分で終わりを決められる状況
これらが重なり、「自分から終わらせる」という判断に至った可能性は高い。
また、政界進出や完全引退といった極端な進路よりも、宮根誠司は今後、テレビとの距離を取り直す道を選ぶように見える。炎上に耐える強さはあっても、人を束ねて率いる立場には向かわず、あくまで“場の中で問いを投げる存在”であり続ける――それが、これまでの歩みとも最も整合する。
『ミヤネ屋』という番組は終わるかもしれない。しかし、宮根誠司という存在がテレビから完全に消えるわけではないだろう。毎日の「昼の顔」は一区切りを迎えるが、必要な場面で呼ばれる人物として、これからも別の形で画面に現れる。その変化を、しばらくは静かに見守っていきたい。

